CASBAH interview

「13年目の現在進行形」
 ここ1年の間にCASBAHを取り巻く環境が大きく変化してきた。長年に渡ってCASBAHのドラマーの座に君臨していた臼井氏が脱退したのは95年の4月であったが、その後に新メンバーとして小林氏を迎え入れたCASBAHは、ファンとしては10年来の悲願であったCDデビューを、何とROADRUNNER JAPAN発足第一弾として「メジャーからのリリース」というオマケまでつけてやってくれた。そんなわけもあって、2〜4月にかけて発売された音楽誌には軒並みインタビューが掲載されていたから、それを読んだ読者も多いかと思う。EAT、BURRN! 、FOOL'S MATE、PLAYER、ROCKIN' F etc... 正直、こんな事ってCASBAH結成以来初めてであろう。ただ、CASBAHを取り巻く環境が大きく変化したとは言っても、それは周りの見方に多少の変化が生じただけであって、CASBAH自身は今まで通り、何ら変化が見られないように思われる。これほどまでに泰然と落ち着き払っているのは、長年に渡って艱難辛苦、紆余曲折を乗り越えてきた人間の強さなのであろうか。そんなわけで本誌でも約2年振りのインタビューを敢行した。うちがやらないわけないじゃん!(笑)

※ このインタビューは、KABBALA#14(1997年 5月発行)に掲載したものです。




  日時:1997年 4月 5日(土)午後11時頃

  場所:千葉県船橋市・STUDIO NESTにて

  話し手:CASBAHの皆様

  聞き手:杉浦 康司 (KABBALA'zine)




 まず、臼井さんが抜けて小林さんが入るところまでのいきさつを教えてもらえますか。

羽鳥:(臼井氏が)脱退するって表明したんだけれども、その時ツアーの予定が入ってたから、もうブッキングしちゃったから消化してくれって感じで、95年の4月のツアーをしてから脱退したと。勿論自分らはバンドを継続したいんで、すぐにドラム募集のチラシを撒いたりして、すぐに思い当たるふしのある人とスタジオ・セッションを始めて。で、スグル(小林 卓:現Dr)と知り合ったのは“PLAYER”のメンバー募集のコーナーで知り合ったんだよね。それで取り敢えず会って、話をして、「じゃあスタジオ入りましょうか」というわけで、それがその年の7月…だよね?

小林:そうですね。

羽鳥:夏に会って、それからスタジオ入り出して…。

村山:それから半年位ずーっとセッション続けてたんだよね。夏からその年の暮れ頃まで。

羽鳥:スタジオでずっと合わせてて。でも正式に「メンバーとしてお互いやっていこう」って言ったのは、その年の10月だったかな。3カ月間はスタジオで“探り合い”ながら、メンバーになるならないは抜きにして、もう暫く様子を見ようという事でセッションを続けてて、10月に、うちのシュウとリョウ君と俺も「是非スグルとやりたい」って言ったらスグルも「是非やりたい」という事で、相思相愛で「じゃあ正式に(一緒に)やりましょう」ってなったのが10月。

村山:「相思相愛」って何か恥ずかしいなぁ(笑)。

羽鳥:で、その後もずっとリハーサルを続けて初ライブまできたと。…すぎちゃん知ってるじゃんよぉ! 聞かなくったって!

 (笑)小林さんがCASBAHに加入しようと思ったきっかけは。

小林:きっかけは、まず色々なバンドのテープを“PLAYER”から頂いたんですけど、聴いてまず「コピーするのが一番難しかった」っていう、それが魅かれた理由で。こういうスラッシュ系のバンドにありがちな、ツタツタっていう2ビートのコピーし易さの中に、こう何かヒネった所とかがあって。他のバンドのヤツは様式美系にしても何にしても、大抵は1日2日でコピー出来たりするんですけど、でもCABAHのはコピーするのに1週間かかったりして、「ああこの人達は凄いなぁ」と。それが最初です。それから雑誌でCASBAHの写真を見つけて、「恐そうな人達だなぁ」って思ったんですけど(笑)、会ったら凄く礼儀正しかったっていうか、そういうギャップとかも魅かれた理由の一つですかね。「凄い人達だなぁ」って。

 コピーの難しさにドラマーとして魅かれた部分がある。

小林:そうですねぇ。でもやっぱり最初に魅かれたのは人間的な部分ですかね。バンドに対する姿勢だとか、見方が凄い似てたんで。

 その当時、新曲は既にあったんですか。

羽鳥:いや、途中まで出来てた曲もあったし、スグルが参加してから出来た曲もあるし。

 このメンバーで初のライブを96年5月に行ないましたが、その時には新曲中心のライブでしたよね。

羽鳥:そんなに(ライブまで)日数もなかったんで、4人で合わせて演ってた曲の集大成がその5月のライブで。当然スグルが入る前からの昔の曲とかもその後にちょこちょこと合わせていたんだけど、(サウンドとして)形になっていたのはその新しいのだったから、ライブ演るんだったらちゃんとまとまっているのがいいっていう事で新曲ばっかりになっちゃったっていうだけで。意図的にそうしたわけじゃない。古い曲を先にセッションしてればそっちが先になっただろうし。

 意識して生まれ変わった姿を見せようとしたわけじゃなかったんですか。

羽鳥:ハハハ…出来の良い曲をライブでやるのは当然だからさ、うん。全然リハやってない曲をいきなり人様の前で演奏しても良い演奏にならないから。スグルが入って、曲を作りつつ(リハを)やってたから、そっちの曲が優先されただけ。それにあのライブは誘われたライブだったから、狙ってあの5月にやったわけではない。

 それからレコーディングに入るんでしったっけ?

村山:レコーディングの方が先かな、うん。録音だけしてライブしたような気がする。

服部:トラックダウンが残ってたんですよね。ライブの時に「トラックダウンが残っているんだよね〜」って言ってた記憶がある。

羽鳥:レコーディングした曲ばっかりスタジオでやってたから、ライブでも当然新曲になっちゃったていうのもあるのかな。

 レコーディングの時には「自主制作で出そうか」という話だったじゃないですか。それから「ROADRUNNER JAPANから…」という話が出てきましたが、その辺のいきさつを教えてください。

羽鳥:…いや、でもこれは本当に自主制作で出すつもりでみんなで話し合って「プレス代はいくらだ、印刷代はいくらだ、ジャケットのデザインはどうしよう」ってそこまで決めてて、そのつもりでいたんだけど、前々からCASBAHの事を見ててくれた人が音楽業界の中にいて、「その人だけには(作品を)聴かせるべきじゃないか」っていう事になって。で、その人に聴かせたら凄い気に入ってくれて「これならイケる」と。それで「実は今度ROADRUNNER JAPANが発足するんでね、多分日本のアーティストを探してるんじゃないか」という事だったから、その人を通してその音源がROADRUNNER JAPANにいって、結果的に「やろう」という事になった。

 その後7月にライブやって12月までライブが暫くありませんでしたしたよね。それは何故ですか。

村山:確かに間が開いたよね。っていうか、元々はスケジュール的には“自分達で作る”という設定でライブをブッキングしてたんで、自分達で印刷屋を探したりプレス屋を探したりデザイナーを探したり、それを全部やるつもりでいたんで。

羽鳥:ROADRUNNER JAPANとの正式な契約に辿り着くまで結構時間がかかったのもあったし、やっぱりそういう時にはライブを入れづらいというか、当然契約したら「いつ発売か」っていう段取りが出来ていくから、そうしたらレコ発でバーンッとライブを演りたいなぁっていう気持ちがあったし。その間にちょこちょこライブを演ってたらレコ発のライブの印象が薄くなっちゃうというのもあったし。“出し惜しみ”っていう気持ちもあったね。でも自分達でスケジュールを組めなくなっちゃったっていうのが一番の理由かな。やっぱりレコード会社っていう“相手”が出来たから、自分達だけではね。…でも結局(CDの発売日が)予定より延びちゃったんだけど、12月のライブは本当はレコ発のつもりでとってたんだよ、最初は年内中だったから。

村山:最初自分達で出そうと思ってた時は、夏に発売させたいな、と思って(ライブの間隔を)開けてたんだよね。そうやってるうちにROADRUNNERの話が決まって、レコ発までは控えた方がいいなという話で、延び延びになってしまったと。

 過去にもNOISEの例を出すまでもなく(かつて1988年頃、ドイツのNOISE RECORDSからアルバムリリースのオファーを受けたが、断った経緯がある:編者註)色々な話があってもなかなかCDまで結びつかなかったんですけど、このROADRUNNER JAPANの話というのは「ようやく“時”が来た!」っていう感じだったんですかね。

羽鳥:そうだねぇ。っていうか、もう自主制作でCDを出すつもりでいたから、それ自体がもうバンドとして“初”だったから。それを出す事には変わりないっていうか、ただそういうレーベルが付いてくれればプロモーションとかもやって貰えるし、それに越したことはないなぁっていう気持ちもあったね。

 ROADRUNNER JAPANとの契約条件について教えて貰えますか。

羽鳥:それはねぇ、1枚毎に更新する形になってる。

 NOISEの時には5年契約という長期間拘束される点がネックになっていたと思うんですが、それなら理想的ですよね。

羽鳥:そうだね。でも音楽業界自体が昔に比べてセールスとかも落ちてるらしいからさ。やっぱりレコード会社も昔みたいに1つのバンドを5年とか縛っておきたいっていう気持ちは凄い薄いみたいだから、逆に向こうも安全な所で1年とか1枚とかで様子を見つつ次にアルバム契約っていうのが主流になってきてるみたいだし。時代も違うしね。そんなに危険な橋を渡りたくないっていうか。ウチのバンドは実績がないからさ。活動歴とか年数だけ言ったら長いんだけど、アルバムを出したこともないし、(そういうバンドに対してレコード会社は)当然冒険も出来ないし。

 12月のLOFTは昔の曲中心のセットでしたが、あれは羽鳥さんがMCでも言ってたように「ファンサービス」だったんですか。

羽鳥:っていうか、スグルとかシュウの要望が凄い強かったんだよね。アルバムを発売したらアルバムの曲中心のライブをやっていくのが当然だと思うんで、アルバム出たらそのCD買ってそれ聴いてそれを聴きたくてライブにみんな来るから、まだ発売前だしね、今しか出来ないんじゃないかという事で「昔の曲も演ってみたい!」っていう強い要望があったから、「じゃあやっちゃえ!」ってね。

 小林さんは結構昔の曲も演りたいですか。

小林:そうですね、やっぱり10何年やってきた凄いバンドですからね。単純に「カッコイイなぁ」と思いますし。

 ここで少し昔の話もしていいですか(笑)。86年の「RUSSIAN ROURETTE」EPから87年の「INFINITE PAIN」DEMOにかけてCASBAHは「スラッシュ・バンドとしてのCASBAH」を極めたと思うんですが、89年のDEMOでは一転して「新しいCASBAHのサウンド」を提示しました。あのDEMOについては自身として「金と時間をかけた失敗作だ」と以前言っていたように思うんですが…今でも失敗だったと思ってますか。

羽鳥:失敗っていうかねぇ、あの時はあれはやりたかったんだよ。

 スラッシュから脱却したいっていうか、スラッシュという枠にとらわれたくないっていう気持ちが強かったように思うんですが。

羽鳥:その気持ちは本当に強かったね。「スラッシュだけじゃないんだよ」っていうのをみんなに示したかった。元々ほら、そういう音楽をやってた時に“スラッシュ”という言葉がなくて自分達やってたから。それでたまたま海外でそういうのが流行って、その流れで日本にもスラッシュの流行が来た時に、「あ、同じようなの演ってるね、このバンドは」っていう事でね、“スラッシュ”という“枠”をね、付けられちゃったんだよ。CASBAHとしてはただの通過点であっただけだから、うん。そういうブームが来ている時に「もっと発展した事をやりたいね」っていうのはスタジオの中で言ってたし。別に意図的に脱却しようというんでもなかったし。周りのブームに流されないで自分達の流れの中でで出来たものだったと思う。…結果的にあれこれ言われたりもしたけどね。

 当時スラッシュ・メタルと呼ばれた数多くのバンドの中でも、スラッシュの枠から飛び出してサウンドの試行錯誤を重ねていったという点は、どのバンドよりも早かったですよね。

村山:スタートが早かったからね。それで“スラッシュ”という風に周りの人が認識し始めた頃には、もうそれに対して限界を感じてたというか、もっと新しい事が本当にやりたかったんでね。意識的に変えようというんじゃなくて、内面から衝動的に…満足できるレベルが違うところにいっちゃってたから。周りの人達は、ちょっと前の姿でしか追ってなかったんだけど、俺達は実はもう変わってたんだよね。

 91年のDEMOでは、ベースがチョッパーを導入したりして、更にサウンドの幅が広がりました。

村山:ああいうのは今だから許せるじゃないけど、もう既成の音楽の中で…ミクスチャーとかあるじゃない? その時は世の中で自分達は聴いたことが無かったし、周りの人も聴いたことが無かったから、周りの人の拒否反応っていうのは凄く強かった。「なんだこりゃ?!」みたいな感じで言われて。今までのスラッシュ(バンドとしてのCASBAH)を愛してた人に対しては、そういう風当たりが強く出てきた。

羽鳥:CASBAHをスラッシュという枠にハメちゃってその枠の中でしか見てくれてない人は、(スラッシュという枠から)外れたものだから×! ペケ! ってなっちゃったっていうだけであってね。解ってくれる人は最後まで解ってくれてるし、今だについてきてくれるからさ。

 再び話を戻して今回のCDについてなんですが、あのサウンドは小林さんじゃないと出せない部分があると思うんですね。シュウさんは“BASS MAGAZINE”のインタビューで「臼井さんは後ノリ、小林さんは前ノリ」という形で違いを表現してましたけど、そういったノリの違いがCDでも強く反映されているという気がします。

村山:凄く反映されていると思います。もの凄く反映されていると思います(笑)。曲作りの時点で触発されてたからね。そういうパワーのある、勢いのある感じ。そういったものがやっとやれる状況にきたな、っていう気持ちもあったし。一緒にセッションしていって触発されて、そういう曲を「これは面白い!」ってドンドン作ったっていうか(笑)。勿論、レコーディングとかそういう事に関しても。

 曲自体は複雑な展開やアレンジを含んでいるにも関わらず、ストレートなアグレッシブさを感じました。あの勢いを今のCASBAHは出したかったと。

羽鳥:そうだね。出したかったっていうか、出た結果がアレだったっていうね。

 どっちかっていうと“結果”なんですか?

村山:いや、やっていくうちにそこに焦点を絞っていたのは確かだよ。レコーディングでもライブの様な勢いのあるサウンドを録りたかったし、曲もストレートでありながらも…複雑な感じの(笑)、とにかく一本通ったようなものを出したかった。

羽鳥:やっぱりスグルだから出来たっていう印象はある。CDになった時点では最終的に音のバランスをいじっちゃったんだけど、自主制作で出そうかっていう当時のミックスはドラムが前面に出てたミックスだったのね。それ位ドラムをフューチャーしたかったっていうのが強かった。結局それはスグル本人も「ドラムが出過ぎだ」と言うんで、意思を尊重して「もう一度ミックスし直そう」という事になって、ギターをもう少し上げて、普通のサウンドになっちゃった。割と極端なミックスで出そうか、っていう予定もあったんだよ。

 シュウさんもだいぶ馴れてきましたね。

服部:もうさすがにね(笑)。

村山:ベテランですよ(笑)。

 CDで一番どんな所を聴いて欲しいですか。

小林:ドラムの音は一番聴いて欲しくないね(一同笑)。聴いて欲しいのは今しか出せない勢いですかねぇ。

村山:ああ、勢いね。うん。

服部:ドラムとベースでもこまごました所を合わせたりとかしてるから、勢いもそうだけど、勢いだけじゃなくて、楽曲の展開とか、そういう所もマメに聴いて欲しいかな。

小林:恥ずかしい話ですけど、ROADRUNNERだとかメジャーだっていう意識が(レコーディングの時には)全くなかったんで、自主制作で出すつもりだったから、もっと細かい、スネアのチューニングを変えたりとか、録音の仕方を変えたりだとか、全くやってなかったんで、そういう点は申し訳ないなぁって思う。

服部:ベースも全く同じ。

小林:だから次はもっとスネアの音色を変えたり色々アンサンブルとかも考えながら、もっと大事に…。

服部:1曲毎にもっと合った音でね。

小林:ブワァー! っと5時間位で(録音が)終わっちゃったからね。

服部:ベースなんかどれ位だろう…30分位じゃない? (笑)

 でもそれが逆にライブ感を出しているんじゃないですか。

服部:そう、ライブ感覚は出たと思う。ライブ感は出たと思うけどその半面で劣る部分も出てきちゃうしね。ベースがギターに負けちゃってるとかさ。

 その辺は次への課題ですね。

小林:そうだね。

服部:ライブ感覚もいいけど、レコーディングはレコーディングで、ってしたいよね、今度は。まぁレコーディングで出せた音をライブで出せなきゃ意味無いけど、でもレコーディングでしか出来ない事もやってみたいなと、そう思う。

 それで今年の2月にCDが発売されました。そして3月には全国ツアーがスタートしました。ここまでのツアーで印象に残った出来事ってありますか?

村山:大分は初めてだったね。

羽鳥:大分は…こいつはタマゲタねぇ〜。お客さんが1人も立って聴いている人がいないんだよ。全員イスに座ってた。あれは素晴らしかった。「CASBAH怒りのライブ」(笑)なにくそっ!ってね。…でもお客さんの反応自体はそんなに悪くはないんだよ、椅子に座りながら皆さん揺れてた。あそこは強烈だった。

小林:印象に残った事かぁ〜、全部良かったからなぁ〜。

服部:大阪は良かったんじゃない? 大阪はお客さん一杯いたし。

 千葉LOOK(3/1)で観て、高円寺20000V(3/20)で観て、2つのライブを比較して思ったんですけど、ツアーを経て一層バンドとしての一体感が出てきたように感じました。

羽鳥:そう思うよ、やっぱり。それにLOOKはツアーの初日だったからね。勿論ツアーはこのメンバーでは初めてだったし。

 これからも初めて行く場所とかあると思いますが、そういった場所でもガンガンCASBAHをアピールしていきたいですよね。

羽鳥:そうね、夏のツアーではもっと、今回のツアー+α位のを予定しているんでね。一度も行っていない所にも足を延ばそうかなぁって思ってる。

 夏と言えば恒例のアレがありますが…。

羽鳥:ああ、MARCH OF THE FINAL DECADEのツアーは、メンツがいないんで今回は…無しだね。東名阪くらいは何かやってもいいかな、っていう気はするけど…でもバンドが無いしね。一応、SACRIFICEとRAGING FURYとCASBAHでやってたのがそのツアーだったからさ。その3バンドでいつまで続けられるかね、っていう事を言い続けてて演ってたしね。メンツが変わってきちゃったからさ。

 CASBAHは最近色々なタイプのバンドと対バンする機会が多いですが、一緒に共演したいバンドとかってありますか? 羽鳥さんは“EAT”のインタビューでWRENCHの名前を挙げていましたが。

羽鳥:ああ、WRENCHはライブを観て凄い好きになって、一緒にやりたいなぁって気持ちになった。

小林:僕はもっとどっちかっていうと異ジャンルの、所謂ハードロックとかパンク系とかロックンロールとか…ジャズとか歌謡曲とかそういう全く畑違いなのじゃなくて、所謂ロックとして共通できるような(異ジャンルの)バンドと演ってみたいと思ってます。自分もハードロックとかやっぱ好きなんで。エクストリーム系のバンドと一緒に演っても、どうしても来るお客さんが固定されて決まってきますからね、どうしてもCASBAHという名前を浸透させようと思ったらもっと違うサウンドを出すバンドと自分は演ってみたいなぁって思いますね。結構地方ではそういう事が出来たんで、観てても凄い面白かったし。

村山:色んなバンドと一緒に演りたいですよ、勿論!

羽鳥:ホント刺激になるしね。スグルが言ったみたいに全然違う系統のバンドと演っても凄い勉強になるし、うん。そういうバンドと演るとそのバンドのお客さんに観て貰えるチャンスもあるし、それはお互い様だと思うから。そういう異ジャンルのバンドと演る機会ってなかなかないし、お客さんも偏ってるっていうか、ジャズ聴く人はジャズしか聴かないだろうし、その中でCASBAHっていうのが入っていければ、そういう人に聴いて貰えるチャンスっていうのが凄い貴重だと思うからさ。色んなバンドと演りたいよね。

村山:お互いに刺激しあえるからね。

羽鳥:そうだね。

 ROADRUNNER JAPANっていうのは外資系の会社なわけですけど、外国とのコネクションという点ではどうなんですか。

羽鳥:本社がオランダにあって、その日本支店みたいなもんだから、当然コネクションはあるよね。世界9ヶ国にROADRUNNERはあるらしいんだけど。確かにそことはコネクションはあるよね。

 そうすると海外でもCASBAHのCDが出る可能性はある。

羽鳥:無いとは言えない。当然、時間の差っていうか、世界同時発売とはいかなくても、ずれて発売される可能性はなくなってはいないだろうし…ないかもしれないし。ずれて発売される可能性はあるかもしれない。

村山:アプローチだけはちゃんとやっていこうっていうのは、もう勿論! どんな少しの可能性だとしても(アプローチは続けていく)。それは俺達も同じだし、レコード会社の方もそう思ってるだろうし。

羽鳥:CASBAHのアルバムがアメリカとオランダでも発売が決まったんですよ! って言いたいねぇ〜(笑)。

村山:そう言いたいとこだけど、まだ(そうじゃ)ないからねぇ。

羽鳥:今後決まるかもしれないし、今回はダメでも次の2ndで決まるかもしれないし、それは全くわからない。チャンスはあると思う。それがあるからやりがいもあるし。

 凄い抽象的な質問ですけど、各々にとってCASBAHはどういう存在ですか。もう生活の一部っていう部分があると思うんですけど…。

村山:いや、生活の一部っていう感じではないね。そういう風に常に緊張感を維持してなければやれてないと思うし。空気を吸うみたいに、ただ仕事に行くみたいに、飯を食うみたいに、ただやってるわけでは全然無いからね。

 じゃあもっと「強く意識している」存在ですか。

村山:そうだね。何て言うか、「やるべきこと」って感じかな。

 常にそういった緊張感っていうか、テンションを維持することがバンドを長く続ける秘訣なんですかね。

村山:そうだね。それ(緊張感)が無くなったら退屈しちゃうと思うし。

 CASBAHは古い曲をリ・アレンジして再生・再興する事って多いじゃないですか。そういった事も新たな新鮮さを呼び覚ますのに一役買ってると思いますか。

村山:やっぱりメンバーは違うわけだし、同じ曲でも全然違ったニュアンスで捉えられて、そういうった意味では昔の曲を演奏しても新鮮だと思うよ。当然自分もそいうのに触発されて、前と同じように弾いてればそれで終わりというものではないからね。

 ライブで演ってみたい昔の曲ってありますか。

服部:ああ…でもスタジオでのノリがあんまりよくないって部分も無きにしもあらずだし…。演っても無意味なっていうか、演っててみんなと一体にならないと良くなんないから。だから中(スタジオ)では演ってることは演ってるんだよね。でもまぁそれ(ノリが出ない)だったら新しい方が(ノリが出てて良い)。…演りたいのは一杯あるよ、勿論!(笑)でもまとまらなきゃ意味が無いからね。

村山:スタジオでは結構色んな曲を演ったりとか、オーディションの時からず〜っと演ってたんだけど、やっぱり「今演奏してみてイイ感じになるかならないか」っていうのが一番大きいと思うから。

 確かにそれは前から言ってましたね。「ノリが出なければ演らない」って。

村山:そっち(ノリ)が優先かな、曲というよりも。「あ、これはいける」っていう、そういう何かを感じるものをどんどん演りたいし。

羽鳥:アルバムに入ってる曲でも、しっくりいかなくなっちゃったら、それはもうしばらくお蔵入りする可能性もあるし、このバンドだったらそうしちゃうからね。スタジオである程度のオトが出せなければさ、お客さんの前では演らないよ。それも一つの要素だしさ。

 そろそろ最後になりますが、読者に一言お願いします。

服部:俺が言うのもなんだけど…ライブを観に来て欲しいね、もう本当に。ただそれだけだね。

羽鳥:CASBAHはライブバンドだと思うんで、CD聴いただけじゃ100%のCASBAHは完璧には体験出来ないから、CD聴いてくれたらライブにも是非足を運んで欲しいね。

 夏にはまたツアーがありますからね。

羽鳥:緊張感たっぷりのCASBAHのライブを体験して欲しいね。■■■




 今回、一番念頭に置いたのは「他誌とは全く異なるアプローチをとる」事であったのだが、それが果たして成功したのか否かは読者の皆様に判断してもらうより他無い。結成以来十余年、現在進行形のCASBAHはアグレッシブでパワフルなバンドではあるけれども、決して“スラッシュ”という枠の中だけで語られるバンドではない、という事が言えると思う。私個人としては、CASBAHが名デモと謳われる「INFINITE PAIN」リリース当時に既にスラッシュに対して限界を感じていた、という件が聞けただけでも収穫であった。スピードメタル/スラッシュメタルという源流に端を発したものの、流れ流れて今では全く独自のスタイルを築き上げるまでに至った“アンダーグラウンドのカリスマ” CASBAHは、地道に一歩一歩自らの歩を進めてきたバンドである。これからもきっと地道に一歩一歩…進んで行くに違いない。CASBAHとはそういうバンドなのである。





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