CASBAH interview



※ このインタビューは、KABBALA#22(1999年12月発行)に掲載したものです。




  日 時:1999年10月30日(土)午後11時30分頃

  場 所:千葉県船橋市・津田沼のジョナサンにて

  話し手:羽鳥 恭充(vo), 村山 亮(gu), 小林 卓(ds), 古平 崇敏(bs)

  聞き手:杉浦 康司(KABBALA'zine)




 いきなり核心なんですが(笑)、「March Of The Final Decade」という企画を立ち上げようと立案したのは誰なんですか。

村山:ハハハ、誰でしょう。

羽鳥:オレ、覚えてないんだよ。正直言って覚えてないんだよね、思いだそうとしたんだけど。(村山氏に向かって)覚えてる?

村山:元々はそういうタイトルでやってなかったから。その前に「INFINITE PAIN」とかっていうタイトルでやってたんだよね。

羽鳥:へぇ〜、凄い記憶力…。

村山:それが、LOFTで自分達の企画としてやった初めてのやつで、出たのがCASBAH、JURASSIC JADE、UNITED、SACRIFICE…。え〜っと、あともう一つはちょっと記憶にないんだけど、SHELLSHOCKか若しくは何かだと思うんだけど(※注)。で、それがちゃんとしたタイトルで自分達で付けてやって、まぁ成功したんで、それで(今後)やっていく上で「タイトル欲しいな」っていうんで付けたっていうのはあるよね。

 じゃあ、まず「INFINITE PAIN」という企画があって、そこで対バンしてきたなかで意気投合した3バンドが盛り上がって、新しい動きにしていこうというような思惑があったんですか。

羽鳥:でもそういう話はしたよね、3バンドで。「やっていこう」という話はしたと思うんだ。あんまりそれも覚えてないんだけど、でも「ちゃんとタイトルを付けてもう一度やろう!」という事で、それを恒例化していこうという話は3バンドでしたはず。

 「March Of The Final Decade」という企画はそれから10年に渡って続いていくわけですが、その企画を通して何をしたかったんでしょうか。

羽鳥:何をしたかった…?

村山:基本的には、その信頼出来る3バンドで出来るライブを演りたかった。そういう事なんじゃないかな。

 所謂スラッシュと呼ばれるカテゴリーに分類される3バンドが集まったことによって、更にスラッシュを盛り上げていこう、枠を拡げていこう、といったような意気込みがあったのではないかと思うのですが…。

羽鳥:それを初めてやった時っていうのは、お互いに凄いバンドの状態に勢いがあって、良い意味でライバル意識も凄いあったと思うのね。で、みんなバンドもノってたから、それぞれのバンドにお客さんが付いて…っていう状態だったんで、そういう意味でもみんな勢いがあったから、そういうバンドが集まってライブをやることによってより切磋琢磨して競争して大きくなっていける、っていうそういう期待はあったよね。

 それぞれがバラバラに動くのではなくて、一緒に集まってやることによって2倍、3倍になるような、そういう相乗効果を狙ってたんですか。

羽鳥:でも、その企画(「March Of The Final Decade」)だけで一緒にやって、その他では一緒にやらないっていうのが基本で。「他では一緒にやらないようにしよう」って。あとは、個々にやっていって、そこで、カッコ良く言えば「培ってきたモノ」を出し合おうっていう位の気持ちでやってたかな。

 年に一回、溜め込んできたモノを爆発させる場、といったような…。

羽鳥:そうそう。うん。…で、まぁ3バンドだけではツマラナイから、途中から若手のバンドをそれに入れて、彼らにも参加してもらって、どんどんその輪を拡げていこうっていう考えをし始めた頃に、どっかのバンドがメンバーが抜けたりとかガタガタしちゃって、(企画が)中断しちゃったところもあったんで、本当はもう少し大きくしたかったものなんだけども、結果的には途中で中途半端で終わっちゃったかな。ちょっと思惑とは違っちゃったかなっていうね。

 例えば当時のスラッシュイベントで言えば「METALIZATION」とか「THRASH LIVE IN SAVEGERY」とかありましたけど、それとはまた全然スタンスの異なる、違ったカラーが出ていたと思うんですよ。それらに対する…といっては変かもしれませんが、結果的に表現出来たものは何だと思いますか。

羽鳥:このイベントで? …RAGING FURYとSACRIFICEのみんながどう思ってたかはわからないけど、CASBAHは、さっきも言ったけど、そのイベントでは一緒にやるけれども、他では一緒にやらない、それ以外では全く別の道を歩んで行きたいっていう気持ちが強かったんで、そういう意味では、お互いに色んなバンドとやって来て、色んなものを吸収しあってやってきて、「March Of The Final Decade」でお互いに見せあうっていうか、一回り大きくなった一年後のバンドの姿を見てもらうっていう、そういう気持ちでCASBAHはやってたから。(「MARCH OF …」以外では)自分達の道を歩んでたんで、そういう意味で成長してる過程っていうのかな…ちょっと質問の内容としては逸れちゃったか。

 お互いに対するライバル心は強かったですか。

羽鳥:そうだね。単独でもやっていけるバンドだぞ、っていう風にRAGING FURYもSACRIFICEもなって欲しかったし、当時それだけの実力のあるバンドだったんで。だから、他の企画みたいに輪を拡げていって、いつも同じ顔ぶれで2ヶ月に一回とか毎月やるとかいった恒例のイベントとは違って。だからその辺の思考がちょっと違うかなって。でも年に一回はお祭りだぞ、っていう気持ちはあったと思う。

村山:グループ化していくのは嫌だったから…派閥じゃないけれど。そういうシリーズ・ギグって結構多かったから、そういうのとはまた違う。

羽鳥:結果的に3バンドで何かやってたような感じもするんだけど、でも思惑としてはもっとどんどん拡げていきたいっていうのもあったから。

村山:だから、来年やっても同じメンバーで続けていけたら…と思ってたし、誰かが抜けて出来なくても来年は帰ってきて欲しいっていう、それがお互いにやっていく上で励みになってたとは思う。原動力というか、今年は3バンドで出来なくても来年は一緒に3バンドで、っていう。俺達が出来なかった時もあったし(笑)。他のバンドもメンバーがいなくて出来なかった時もあったし。

 89年からスタートして、転機になったのは92年だと思うんですよ。

羽鳥:うん、CASBAHのベーシストがいない時だ。

 その辺からまた多少、イベントの性質というか位置づけが変わってきたような気がするんです。…これはちょっと余談なんですが、93年1月にCASBAHがCOCOBATと一緒に演った時、タイトルに「SUB」が付いてたんですけど、これは92年9月に参加出来なかったCASBAHが復活をアピールした、遅れてきた「March Of The Final Decade」っていう感じだったのでしょうか。

村山:それとは意味が違う…じゃないけど…違うものだよね、全く。(そういう)タイトルが付いてたけど、タイトルには別に拘ってなかったし、基本的に俺達がLOFTで演る時は主催してたんで、その時のタイトルとして使ってたところもあったから。…俺達のなかでは「海水浴ギグ」って言ってたんだよね(笑)。「March Of The Final Decade」だなんて誰も言ってない。「海水浴ギグ、来年もやろう」って。それは何でかっていうと、ライブの次の日に3バンドで海水浴に行くわけ。だから夏だったの。

羽鳥:逆でしょ〜(笑)。たまたま夏にやって、それで…。

村山:最初の一回はそうだったけど、次からは「海水浴が出来ないからやっぱ夏が良い」って、そういう思考もあったよね。それを楽しみにしてたところもあったから。

羽鳥:ライブ終わった後、ろくに打上げもせずに、よく睡眠をとって翌朝に備えて、みんなで海に行って、ボーリングして…そういう楽しみもあったから。

村山:それが、ライブも含めて年中行事。そういう事になってた。

羽鳥:でも基本的にLOFTでのイベントはCASBAHが主催してたんで、そのイベントには全部そのタイトルを付けて今後やっていきたいっていう事を、RAGING FURYとSACRIFICEにも話したんだ。で、ああいう形で三谷(Bs/ex-CASBAH〜CARNIVOLOUS PEOPLE)が抜けて出来なかった分、翌年、自分達のイベントとしてCOCOBATと演った時もそのタイトルを使わせてもらったっていうか、今後CASBAHがやるLOFTのイベントはその名前でやりたいんでっていう事で。だから、そこも最初の思惑とはちょっと違ってるのかもしれないけど。でも、基本的にはそうやって色んなバンドとやっていこうっていうのは変わらない事なんで。ただそれは夏じゃなかったし…っていう事もあったんで、「SUB」って敢えて付けてやったのかな、あの時は。

村山:俺達にとってLOFTで演れるっていう事は、ステータスじゃないけど、あそこは凄い特別な場所だったから。だからいい加減な事は出来ないっていうか、まぁ「聖地」であったわけで(笑)。そういうスピリット自体はそのまま同じ名前で残ってやってってると思うんだよね。

 ファンにとっても「LOFTで観るCASBAH」というのは、ある意味で特別だったと思うんですよ。…ファンとして観てた時はどうでしたか。

古平:いやぁ(笑)。そのイベントを楽しみにしてました。RAGING FURYもSACRIFICEもCASBAHも、どれを見に行くっていうんじゃなくて、全部好きだったから。それが3つ一緒にやってくれるんだから…うん。

 好きな3バンドが同時に観れてお得なイベントだったと。

古平:そうそう。「オトク」って言ったらアレだけど(笑)。

羽鳥:いつも最後に必ずセッションをやって、コピーして。最初はヴォーカリストだけだったかもしれないけど、後にメンバー全員がステージにのってた時もあったと思うのね。そうやって「最後に出演者みんなで一曲演ろう」って。出演者側も楽しんで、お客さんもちょっと堅苦しい個々のバンドのライブの後に、最後はちょっと緊張感のない(笑)もっと砕けた部分も見てもらって、「また来年も来てね」っていう…そういうライブって今は無いのかなぁって思う。その当時もそんなに無かったと思うんだけど、そういうお祭り的な部分を残してさ。

 そういう部分も「March Of The Final Decade」の意義の一つだったんですね。

羽鳥:結局、今だったら4バンドが演ったとして、1バンド目が終わってそのバンドのお客さんは帰って、2バンド目のお客さんが前に来て入れ替わったりとか、そういう事もあるし。その4バンドが出た意義っていうかさ、何故この4バンドが一緒に出たのかっていうのをさ、ただライブハウスが集めて出ただけなのか、本当にこの4バンドの仲が良いのか、音楽的に共通点があるのかな、とか(ライブの意義が見えにくい)そういうイベントも一杯あるじゃん。お互いにリハーサルの入りの時間に「オハヨーゴザイマース」って言ってそれっきり口もきかないで(笑)ライブ終わってそのまま解散とかさ、それじゃあ寂しいし。だからうん…。

村山:各バンドのファンである以上さ、(ライブで共演した)そのバンドを俺達は認め合って演ってるんだ、っていう事をね、全バンド凄いバンドなんだっていう事を自分達のファンにも紹介したいし、彼らのファンにも俺達を見てもらいたいし。そういうライブが最近は無いよね。入れ換えで、何か…。

 イベント全体をトータルパッケージで観て欲しいっていう。

羽鳥:あのイベントに関しては、そういう風に観に来てくれてたと思うのね。

 例えば「CASBAHを観に行く」というよりも「MARCH OF THE FINAL DECADEを観に行く」っていう感じで。それは達成出来てたと思いますか。

羽鳥:その当時は、そういう風に出来たと思うね。

村山:とっても良い雰囲気だったと思うよ。

羽鳥:凄い良い雰囲気だったと思うから、観に来てたお客さんも。

 「March Of The Final Decade」と銘打たれたライブの中で一番印象に残っている事とかありますか。

羽鳥:(暫く考え込んで…)記憶力の無い俺には…沢山あるんじゃないですか? (と村山氏に振る)

村山:やっぱりね、セッションしたっていう事自体が初めてだったから。

羽鳥:セッションしたことの印象は凄いある。

村山:それは凄いみんな楽しみにしてたから。最初の時にIRON MAIDENの“Drifter”を演ったんだけど、3人が歌って。2人でギターを弾いたりとか、そういう事自体があまり無かったから。認め合ってる3バンドでそれが出来るっていう場をね、しかもそれがLOFTで演って、お客さんも凄い楽しんで貰えるというので、凄い幸せさを感じたよね、やっぱり。

 ああ、村山さんはツインギターの経験が余り無かったから…。

村山:そうそう。

 とても新鮮だった。

村山:だからかなり綿密に打ち合わせしてね(笑)。ツインリードとか、色々やったりとか(ギター2人で)したい事もあったよね。俺としてもね、晴夫君〈RAGING FURY/Vo&Bs〉と杉さん〈現SOLITUDE/Vo〉とステージに立ってること自体が何か凄かったし。

羽鳥:それぞれのバンドの時は、みんな気張って緊張感たっぷりのライブを演るんだけども、いざそのセッションの時間になると、みんな力が抜けた表情でさ、凄い楽しそうな表情してて。それはステージの上のみんなもそうだし、お客さんも一転して変わるのね、そういう和気藹々としたムードになって。その、緊張感たっぷりなところと、力の抜けたところの両方を体験出来て、亮君(村山氏)も言ったけど、凄い幸せな気分になれるっていうね。ライブ終わった後に「パァーっとやりましょう!!!」っていう…何かあれがもう打上げになってたような気がするんだよね。

村山:翌日も含めてね(笑)。

羽鳥:ライブで「お疲れさま〜!」っていう。お客さんも含めて「また来てね!」っていうさ。

 古平さんはお客さんとして観に行ってて何か印象に残ってる事はありますか。

古平:(92年9月6日 新宿LOFTのライブで)三谷さんが抜けて、晴夫さんがベース弾いたり、西さんがベース弾いたりするのは、最初その日に行ってLOFTに「CASBAHはベーシスト脱退の為…」って貼紙がしてあって、「えっ?!」って思ったんだけど、逆にちょっと貴重なものが観れて面白かったっていう。あれは変な意味、良かったなって思う(笑)。

 正にファン心理ですね。「羽鳥さんのOUTRAGEを観れたぞ」みたいな感じですか。

羽鳥:ハハハ、それはいいから(笑)。

 「March Of The Final Decade」というネーミングは誰が付けたんですか。そこにどんな意味が込められているのか…そのまんまと言えばそうなのかもしれないですけど(笑)。

羽鳥:(笑)そのまんまだね。丁度区切りもいいし、うん。「向こう10年やっていこう」っていう。

 このメンツで10年先まで突っ走るぞ、っていうか。

羽鳥:そうだね、うん。

 SACRIFICEはSOLITUDEになりましたが、こうして10年経った今、またこのイベントが出来る事は当事者としても嬉しいですよね。

羽鳥:今年は何としてもやりたかった。何とかやりたかったなぁって。みんな(今年はやろう!っていう)そういう話になってて、RAGING FURYも順調に進んできたし、CASBAHも落ち着いて、あとは杉さんの所だけだったから(笑)、「どうにかしてよ!」っていう感じで。

村山:現役復帰を(笑)。

 99年の最後に何とか駆け込んだと。

羽鳥:うん、ギリギリだよね、ホントね。最初はやっぱり夏にやりたいってみんなで言ってたのね。このイベントはずっと夏だったから。だけど、CASBAHの方の都合もあって、ちょっと夏は難しいなぁってことを言って…何とかギリギリ12月に。

 さて、最後の「March Of The Final Decade」が東京・大阪で行なわれるわけですが、そこでお客さんに感じて欲しい事はありますか。意気込みをそれぞれにお伺いしたいんですけど。

羽鳥:意気込み…意気込みっていうよりはね、当時やってて凄い良いイベントで、凄い盛り上がったイベントだったんで、そういう気分にお客さんを含めて浸れるような、そういうイベントになればなぁっていう期待と不安が凄い入り交じってる。やってみないとわからないけども。今迄はもう、このイベントはいつも楽しいんだっていう自信があったんだけども、今回はちょっと…幕を開けてみないとわからないかなぁっていう所もある。ちょっと恐いね。

 恐いですか!

羽鳥:うん、まぁ…大成功に終わることを期待してるんだけどね。

村山:良いお客さんが来てくれたらいいね。

古平:良いお客さん?

村山:うん。わかってくれる人が(来て欲しい)。

古平:この企画自体、自分の中では高い存在にあるんで。一度TERROR SQUADの時にオープニングで出させてもらって、その時とはまたちょっと違った気分、今度はCASBAHで演るわけだし。だから、まぁ…楽しみといいつつ、普段とは違う緊張感がありそうな感じがしますね。

 小林さんは何かありますか。

小林:ないです。

 いつも通り。

小林:いつも通り。

村山:昔から来てるお客さんにも、今はバンド、みんなそれぞれメンバーも違うし、やってる事も変わってきてるから、その辺をね、やって来たことを古いお客さんにも認めて欲しいなっていうか、うん。今やってる事をね。

羽鳥:やり始めた頃の「March Of The Final Decade」をお客さんとして観に来てた人達の大半は、もうこの世界から去っていってるか、もしくはター坊(古平氏)とかの様に自分がバンドマンの立場としてやってるよね。前にCOCOBATの坂本君(TAKE-SHIT氏)と話したことあるんだけど、彼も凄いこのイベントが好きでよく来てくれてたんだ。その頃まだCOCOBATって無かったし、だから何ていうのかな…今はバンドマンとしてやってるような人達が当時お客さんとして来ててくれたようなイベントなんで、今回は当然、完全に(お客さんのの層が)入れ替わって、全くそういう時代背景を知らない人達が来ると思うのね。今回その…パンフ、KABBALAに協力してもらって作ってもらうのも、そういった事を少しでも知ってもらいたいっていうのがあったんで、そういうのが伝わると良いな。当時を体験できなかった人にもね。■■■







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